駅・地下鉄の怪談
終電、見知らぬホーム、地図にない出口。日常の移動がずれる物語を集めました。
テグ(대구)地下の無限回廊
大邱(テグ)
テグ(대구)に地下鉄が初めて開通したとき、人々はこの街がいよいよ近代化されつつあると思った。しかし年老いた者たちは、常こう警告していた。「テグ(대구)の地の下には、我々には理解できない何かが眠っている」と。 ある夜、テグ(대구)で遅くまで会議を終えた会社員のミンス(민수)は、1号線の最終列車に乗り込んだ。列車はいつものように動き出したが、何かがおかしかった。窓の外に広がる光景は、どこまでも続くトンネルだった。見慣れた駅名はひとつも現れない。彼は周囲の乗客に声をかけたが、彼らもまた、何かが狂っていると感じているようだった。 それでも列車は走り続け、止まる気配すらなかった。乗客たちは次第に追い詰められ、ついには誰かが叫び声を上げた。そのとき、車内放送が流れた。聞き取れない、耳慣れない言葉で何かをつぶやいている。その声は、もはや人間のものとは思えなかった。ミンス(민수)はそのとき悟った。この
路地裏の影
Tokyo
これはね、谷中で聞いた話なんですが……確かめたわけじゃないんで、そのつもりで聞いてください。 ある秋の終わり、だったそうです。十一月の頭か、その辺り。 田中さんという、どこかの会社に勤めてる方がいましてね。三十代の後半、残業続きで、もうだいぶくたびれていたんだそうです。その夜も終電ひとつ前で会社を出て、最寄り駅まで歩いていた。いつもは大通りを真っ直ぐなんですけど、その日はなんとなく、谷中の路地に入ってしまった。理由は特にない。ただ、ふらっと、と言うんですね。疲れてたんでしょう。気が緩んでたんだと思います。 谷中はご存知ですか。昼間は猫の街だとかお寺の街だとか言われて、観光客も来る。でも夜は違う。路地が細くて、街灯が少なくて、家と家の間がやけに暗い。古い板壁が続いて、その隙間から黒い空が見えたりする。都内にいることを忘れるような、そういう場所です。 田中さんが歩き始めてすぐ、後ろに何
渋谷の肉の館
Tokyo
……聞いた話なんですがね。 確かめようがないんで、本当かどうかは、わたしにはわかりません。ただ、これを教えてくれた人が、やけに落ち着いた声で話すもんですから、それがかえって気持ち悪くて。 渋谷の話です。 駅から歩いて十分ほど、観光客がよく行くあのあたりから、ちょっとだけ路地に入ったところに、なんとも妙な建物があるんだそうで。外観はどうってことない、古びた雑居ビルみたいなものらしいんですよ。看板もない、表札もない。ただ扉だけがある。 界隈では、その建物のことを「肉の館」と呼んでるんだそうです。なんでそんな名前がついたのか、誰も知らない。知ってる人は、もう話せなくなってるから、とも言うんですけど。 さて。ある二十代の画家の卵がいましてね。 渋谷に安いアパートを借りて、絵を描きながら暮らしていた。絵の題材を探すのが好きで、夜の街をよくひとりで歩き回っていたそうです。そういう人なんです
雪の街に潜む影
Sapporo
……聞いた話なんですがね。 確かめたわけじゃありませんよ。ただ、去年の冬あたりから、札幌の地下鉄界隈でちらほら囁かれてる話でして。 由美さん、というお名前だったとか。二十代の後半で、中央区のほうに一人暮らしをしてたOLだと。まあ、どこにでもいるような、ごく普通の人だったそうです。 残業が続いていた時期だったらしくてね。十二月の話です。札幌の十二月って、もう本当に冷えますよね。息を吸うたびに肺の中まで凍るような、あの冷たさ。 その夜も仕事が長引いて、南北線の終電ひとつ前の電車に、ようやく乗り込んだそうです。 車内はほとんど誰もいなかったと。端のほうに酔っ払いが一人、ぐったりしてたくらいで。暖房の効いた車内が、かえって静かに感じられるほどだったと言いますね。 由美さんは窓際の席に座って、ぼんやりと外を見ていた。地下鉄ですから、窓の外はトンネルの壁で、暗いんですよ。だから窓ガラスが鏡
ソウル駅の怨霊
ソウル
みなさん、今日はソウル駅の話をしようと思います。 ただのソウル駅の話じゃなくて……あそこで終電を待っていたとき、何かを見たという人の話です。 聞いたのはずいぶん前なんですが、今でもふとした瞬間に思い出すんですよね。確かなことは言えないけど、その学生から直接聞いたという人がいるんです。 --- 数年前の冬のことだったそうです。ある大学の四年生の男子学生が、図書館で遅くまで勉強してからソウル駅のホームへ降りていったと。もう真夜中近くで、終電が来るまであと十分ほどあった。ホームに人がいないわけじゃなかったけど、なんというか……みんなそれぞれ自分の壁を向いて立っているような雰囲気だったって。言葉もなく、目も合わせない。深夜の地下鉄特有のあの空気、わかりますよね。 でもその学生が言うには、急に首の後ろがひやっとしたんだって。暖房はちゃんと動いていたのに、首の後ろから肩にかけて、何かがすうっ
加陽駅 怪異連続失踪事件
カヤン駅(가양역)
あ、これ話していいのかな……本当に。聞いたとき、しばらく加陽駅に乗れなくなったんだよね。本当の話。 聞いた話なんだけど、確かじゃないけど——2022年に加陽駅の近くで、三人もの人が消えたんだって。ただ消えたんじゃなくて。駅の中に入るところはぜんぶ防犯カメラに映ってたのに、出てくるところがない。どこにも。出口でも乗り換え通路でもトイレでも——いないんだよ。まるで駅の中に入った瞬間から、その人が世界から消されたみたいに。 その中でも、ある男の人の話が一番怖くて。夜中の二時半ごろだったって、その人が彼女に電話したのが。たいした話でもなかったって。「もうすぐ帰る」って、それだけ言って切ったんだって。彼女はそのまま帰ってくるんだと思って寝たんだけど、朝になっても電話に出なくて、家にもいないんだよ。家族がビラを作って貼って回ったんだけど——情報提供は一件もなかったって。一件も。その人の最後の声が「
上野駅の消えた「特別な」トイレ
上野駅
これはね、知り合いから聞いた話なんですが……確かめようとすると、するっと逃げていくような、そういう話です。 上野駅に、昔からあったトイレのことです。 今はもう形が変わっているそうなんですが、以前は13番線のホームに、薄暗い公衆トイレがあったんだそうで。日が落ちて、最終電車が近くなってくると、そこだけ空気が違ったと言うんですね。蛍光灯がひとつ、じじ、と鳴いていて、タイルの目地が黄ばんでいて、消毒液とも違う、なんとも言えない湿った臭いがしたと。 その話をしてくれたのは、夜勤明けに上野をよく使っていたという男性でした。三十代くらいの、落ち着いた人です。今から十年以上前の話だと言っていました。 ある夜、その人がトイレに入ったんだそうです。もう終電間際で、ホームに人はほとんどいない。個室がいくつか並んでいて、ひとつだけ扉が閉まっていた。それだけなら何でもない話なんですが、その扉の下から、二本
新宿三丁目の消えるビル
新宿三丁目
ねえ、聞いてくれる? 新宿三丁目の話なんだけど……確かめようがないから、本当かどうかは、わたしにもわからないんだけどね。 友人の友人から聞いた話、って言ったらよくある都市伝説みたいで、信じてもらえないかもしれないけど。でも、その人、今でもあの夜のことが頭から離れないって言ってるらしくて。だから、こうして話が流れてきたんだと思う。 その人、三丁目で働いてる三十代の男性で、名前は……まあ、仮にナカムラさんとでもしておきましょうか。 その夜は、会社の飲み会だったらしいの。終電にはまだ少し間があって、酔い覚ましに歩いて帰ろうと思ったって。新宿三丁目の駅を出て、いつも通る細い路地に入ったところまでは、ごく普通の帰り道だったそうよ。 夜中の一時をちょっと過ぎた頃。あの辺って、そんな時間でもネオンが滲んで、どこかから酒と脂の混ざった匂いが漂ってきて、人の気配が絶えないじゃない。でもその夜は、な
新宿駅西口、地下から地上への不可思議な道
新宿駅西口
これはですね……ある方から直接聞いた話でして。確かめる気にはなれませんでしたが、妙に頭に残っているので、今夜は皆さんにお聞かせしようと思います。 新宿駅の西口、地下通路の話です。 その方は、都庁方面へ向かうことがよくあったそうです。仕事の関係で、週に何度も。通い慣れた道だから、足が勝手に動く。スマートフォンを見ながら歩けるくらい、体が覚えていたと。 ある夜のこと。たしか十一時を過ぎた頃だったと言います。終電を気にするほどではないが、人の流れが少し薄くなってきた時間帯。コンコースに入って、いつものように真っ直ぐ歩き始めた。 タイルの感触。蛍光灯の白っぽい光。どこかから漂ってくる、冷えた排気と埃の混じったあの地下特有の匂い。それがずっと続くはずだった。 ……ところが。 ふいに、足の裏の感触が変わったそうです。 タイルじゃない。アスファルト。 顔を上げると、街路樹。空。夜の、外の
渋谷駅地下の「時間喰い」通路
渋谷駅地下通路
これはね、ちょっと前に知り合いから聞いた話なんですが。 確かめようがないし、信じるかどうかはお任せします。ただ——聞いた私は、しばらく渋谷の地下を歩けなくなりましたので。 その人、仮にKさんとしておきましょうか。渋谷で働いている三十代の女性で、毎日、同じ地下通路を通って乗り換えをしていたそうです。半蔵門線から田園都市線、あのあたりの連絡通路、ご存知の方も多いかと思いますが。薄暗くて、天井が低くて、どこか息苦しい、あの細長い通路です。 それがある夜のこと。残業で遅くなって、終電の少し前だったそうです。 通路に入った瞬間、何かがいつもと違う、とKさんは思ったらしいんですね。何が、とは言えない。でも——においが、なかった。地下特有の、あの湿った埃っぽいにおい、タイルと排気と人の体温が混ざったような、あれが、すっぽりと抜けていた。 足音も、おかしかった。自分の靴が床を踏む音が、少しだけ遅
三宮の迷い道
三宮駅北側の北野坂と東門街の間
ねえ、ちょっと聞いてくれる? 三宮の話なんだけどね。北野坂と東門街の間、あのあたりのこと。去年の秋、わたし自身が近くにいたから、なんか他人事に思えなくて。 一緒にいたのはMさんって人で、神戸に十二年住んでる人なの。地元の喫茶店で顔なじみになって、たまにご飯行く仲だった。その人がある夜、仕事帰りに北野坂の方に用があって、一人で歩いたんだって。 十月の終わりの、肌寒い夜。九時を少し過ぎたくらい。わたしはその日、同じ三宮にいたんだけど、Mさんとは別行動で。翌朝、Mさんから連絡が来たの。「昨日、変なことがあって」って。 北野坂を少し上がって、右に折れたところから、おかしくなったって言うんだよね。 何度か曲がったはずなのに、気づいたら同じ電柱の前に戻ってきてる。柱の根元に貼られた古いシール、角が一枚だけ三角形に破れてるやつ、それが目に入った瞬間に「あ、ここさっき通った」ってわかったんだって
東門街の澱み
東門街
……聞いた話なんですがね。 神戸の、三宮。東門街って、ご存知ですか。 あのS字に曲がりくねった路地で、夜になると、なんとなく足が遅くなる。そういう話を、ちらほら耳にするんです。確かめたわけじゃないですよ。ただ、何人かから、似たようなことを聞いてますんで。 友人の知り合いの話、らしいんですが。 その人、仮にAさんとしましょうか。Aさんが東門街を一人で歩いたのは、二月の、もう日が変わるかという頃だったそうで。飲んだ帰りに、三宮の駅まで近道しようと、あの路地に入ったんだそうです。 入り口のあたりはまだよかった。ネオンの残り火みたいなものがあって、閉まりかけた焼鳥屋から、煙と油の匂いが漂ってきて。そういう、繁華街の夜の終わりって感じがしたって。 ただ、S字の奥に進むにつれて、それが変わってきた。 匂いが消えたんですって。急に。 煙も、排気ガスも、酒の匂いも、ぜんぶすっと消えて、なん
美久仁小路、過去の残響
美久仁小路
ねえ、聞いてくれる? 池袋でね、ちょっと不思議な話を聞いたんです。確かめたわけじゃないし、誰から聞いたかもぼんやりしてるんだけど……でも、なんか妙にリアルで、忘れられなくて。 池袋の東口から少し歩いたところに、「美久仁小路」って路地があるんですって。知ってる人、いるかな。駅からそんなに遠くないはずなのに、一歩入ると、あの池袋の騒音がすうっと消えるんだって。提灯がぽつぽつと並んで、看板の字体も、なんか昭和のまま止まってるみたいな。 そこ、もともと「青線」があった場所らしくて。戦後のね、そういう場所。詳しくは言わなくていいと思うんだけど……たくさんの人が、いろんな気持ちを抱えて、あの小路を通り抜けてきたってことは、確かなんだと思う。 ある男の人の話なんですけどね。仮にKさんって呼ばせてください。Kさん、去年の秋ごろ、仕事終わりに一人でふらっとあの小路に入ったんだって。別に怖いもの見たさ
池袋駅、消えたホームの誘い
池袋駅
さて、今夜は池袋の話をひとつ。 聞いた話なんですがね。確かめようがないんで、ほんとかどうかはわからない。ただ、こういう話が出回ってるっていうのは、まあ、お伝えできますよ。 去年の秋だったか、池袋で働いてる男の人の話です。名前は伏せますが、丸ノ内線を毎日使ってる、ごく普通の会社員だったそうで。 その夜は残業で、終電まで一時間もない時間帯だったといいます。ホームに降りて、ふと気づいたら財布をどこかで落としたらしくて。来た道を引き返しながら、地下のコンコースをぐるぐると歩き回った。池袋の地下ってのはご存知の通り、線路が何本も重なって、通路が縦横に走ってて、何年通っても「あれ、ここ来たことあったかな」ってなるような場所でしょう。その日も、財布を探しながら歩いてたら、どこかで曲がり方を間違えたんでしょうね。気づいたら、見たことのない通路に入ってたっていうんです。 薄暗い、コンクリートの壁に挟
町田の美大生、消えた夏
JR成瀬駅付近
ねえ、聞いてくれる? これ、町田のあたりでずっと前から囁かれてる話なんだけど……確かめようとすると、するりと手からこぼれていくような、そういう種類の話なの。だから、あくまで聞いた話として受け取ってほしいんだけどね。 一九九九年の夏。お盆の頃だったって聞いてる。 JR成瀬の近くに住んでた、十八歳の女の子の話。美大を目指してたらしくて、いつもスケッチブックとか画集とかを抱えて歩いてたんだって。その夏、家族みんなで帰省する予定だったの。でも彼女だけ残った。理由は歯医者。予約が入ってたから。「ちょっと行ってくるね」……それだけ言って、ドアを閉めた。 ジーンズにサンダル。財布の中身もそのまま。画集を一冊だけ持って。 ……それきりなの。 家族が数日後に戻ってきたとき、台所のテーブルに麦茶が出しっぱなしになってたって。コップの内側に、氷が溶けた薄い水の跡があったって。でも、口はつけてなかった
渋谷駅「存在しない〇番出口」
渋谷駅地下
これはですね、友人の、そのまた友人から聞いた話でして。確かめようがないんですが、妙に細かいところが引っかかってしまって、今日ここでお話しさせていただこうと思ったわけです。 渋谷の地下の話です。 その方、仮にKさんとしておきましょう。会社勤めの、三十代の男性だそうです。ある秋の夜、仕事が長引きまして、終電まで十分かそこらしかない、という状況で渋谷の改札を抜けたんだそうです。乗り換えで少し焦っていた。渋谷の地下はご存知の通り、ここ数年でずいぶん複雑になりましたでしょう。工事の壁がそこかしこに立っていて、昨日まであった通路が今日は塞がれている、なんてことが普通にある。Kさんもそれに慣れていたもんですから、案内板をちらりと見て、足早に歩いていったんですね。 そのとき、気づいたら、見慣れない通路に入っていた。 後で本人が言うには、「曲がったつもりがなかった」と。まっすぐ歩いていたのに、気づい
雨の日の神隠し
横浜市旭区本宿町
これはね、ずいぶん前に地元の人から聞いた話なんですけど。 横浜の、旭区というところに、本宿町という住宅街があるんだそうです。 駅からも遠くない、ごく普通の、どこにでもあるような町並みでして。せまい路地に、一軒家が並んで、電柱と電柱のあいだに洗濯物が見えるような、そういうところだったらしい。 その町で、ある年の秋のこと。小学三年生の女の子が、ふっと消えたんだと。 --- 雨の日だったそうです。 午後三時五十分ごろ、その子は玄関を出たらしい。毎週通っている書道教室へ行くために。お母さんが見送って、「いってらっしゃい」と声をかけた。女の子はランドセルではなく、赤いキティちゃんのバッグを肩にかけて、ピンクの長靴を履いて、青と白のチェック柄の傘を差して、雨の中へ歩いていったんだって。 書道教室までは、五百四十メートル。歩いて七分かそこらの距離ですよ。 途中に大きな交差点もない、見通し
大池遊園駅の怪異
大池遊園駅
……少し、聞いていただけますか。 和歌山の、山のほうに入ったところに、大池遊園という駅があるのだそうでございます。確かなことは申し上げられませんが、あの場所には……何か、普通の駅とは少し違うものが漂っていると、そういう話が伝わっておりまして。 民家はほとんどない。大きな池のある公園があるだけの、人の気配がひどく薄い土地だと聞いております。昼間でも静かすぎるくらいなのに、夜ともなれば、ホームに残るのは虫の声と、池から上がってくる水の匂いだけなのだそうでございます。池の匂い……腐りかけた草の、泥の底から染み出してくるような、あの重たくて湿った空気。口の中に入ってくるような、あの感じ。 ある秋のことだと聞きました。数年前、と言っておられた方がいらっしゃいまして。 その方は一人で、終電を乗り過ごしてしまったのだと。次の電車まで三十分ほど待たなければならなくて、仕方なく、ホームのベンチに腰を
姿見の井戸の警告
高野山 奥の院 姿見の井戸
これはですね、二年ほど前に、知り合いの知り合いから聞いた話です。確かめようがないんですが、奇妙に具体的でして。 高野山の奥の院に、姿見の井戸というのがあるそうです。 中の橋を渡ってすぐ、燈籠がずらりと並ぶ参道の脇に、お堂がひとつ建っています。その、お堂の影になるような場所に、ひっそりと、本当にひっそりと、石組みの小さな井戸があるんだそうです。案内板があるわけでもなく、知らなければ通り過ぎてしまうような、そんな場所に。 言い伝えはこうです。その井戸を覗き込んで、水面に自分の顔が映らなかった者は、三年以内に死ぬ。 まあ、よくある言い伝えだと思うでしょう。わたしも最初はそう思いました。 その方は、京都に住む三十代の男性だったそうです。名前はちょっと伏せておきます。仮にKさんとしましょう。Kさんは、高野山へは観光で行ったわけじゃなくて、友人の四十九日の法要に付き合って、そのついでに奥の院
江の島カップル破局のジンクス
江の島 (特に江島神社、恋人の丘)
ねえ、聞いてくれる? 江の島のことなんだけど。 知ってる人は知ってると思うんだけど、あそこにはカップルで行くと別れるっていうジンクスがあるって、ずっと前から囁かれてるの。まあ、そういう話ってどこにでもあるじゃない、って笑える人は笑っていてもいいんだけど……これ、ちょっと笑えない話を聞いちゃって。 友達の友達のそのまた友達、みたいな話で申し訳ないんだけど、去年の秋に実際に行った人がいるらしいの。大学の同期のカップルで、付き合って二年になるお祝いに、って。仲がよかったみたいよ、すごく。 夕方に島についたんだって。人がまだ残ってる時間で、土産物屋もあいてて、揚げまんじゅうの甘い匂いがあたりに漂ってたって言ってた。ふつうの、観光地の夕方。彼女のほうはもう嬉しくて、彼の腕に絡まりながら参道を上がっていったって。 江島神社の、あの本殿に着いたのは日が落ちかけた頃で。灯籠にぽつぽつ明かりが入り
井の頭公園ボートの呪い
井の頭恩賜公園
ねえ、聞いてくれる? 井の頭公園のこと、ちょっと気になる話があってね。確かめたわけじゃないんだけど……どうしても誰かに話しておきたくて。 去年の秋だったかな、って聞いたのよ。友達の友達の話なんだけど。二十代のカップルで、付き合って半年くらいの、まだ仲のよかった二人がね、休日の昼間にスワンボートに乗ったんだって。井の頭の池で。あのピンクとか白の、ぷかぷか浮かんでるやつ。 最初は笑ってたらしいの。ペダルがうまく漕げなくて、くるくる回っちゃって、二人で声を上げて笑いながら。秋の昼間だから空気は澄んでて、水面がきらきらして、ほんとに楽しかったみたいでね。 でもね、池の真ん中あたりに差し掛かったとき。 急に、水の匂いが変わったんだって。 川の匂いっていうか……泥の奥から来るような、冷たくて暗い匂い。腐ってるとも違う、でも生きてるとも違う、なんとも言えない、地面の底みたいな匂いが、すうっと
吉祥寺幽霊ビルの呪い
吉祥寺エコービル (現・吉祥寺駅前のある手芸専門店)
これはですね、ある知人から聞いた話でして。確かめようのないことですから、あくまでも、そういう噂があった、ということで聞いてください。 吉祥寺の駅前に、かつて「エコービル」という商業施設があったそうです。 駅直結ですよ。あの吉祥寺の、改札を出てすぐの場所に。人が流れないわけがないんです、普通は。ところが、なぜかテナントが入るたびに、半年、一年と経たないうちに撤退してしまう。次が入る、また出ていく。気がつけばシャッターばかりが並んで、昼間でも薄暗い、そういうビルになっていったんだそうです。 地元の人たちはそのビルを「幽霊ビル」と呼んでいたと言います。 なぜそんな風に呼ばれたのか。理由については、ひとつの話が伝わっています。 そのビルを建てる際、立ち退きを求められた住人の中に、一人だけ最後まで首を縦に振らなかったお婆さんがいたんだそうです。どのくらい粘ったのかは分かりません。ただ、最終
13番線ホームの忘れ物
JR上野駅13番線ホームのトイレ
ねえ、聞いてる? 上野駅の話なんだけど。13番線のホームにある女子トイレ、あそこに変な女の人が出るって、ずっと前から噂があるらしいのよ。 以前、会社が上野にあった知人から聞いた話なんだけど……確かめようがないし、本当かどうかは、わからないんだけどね。 その人、帰りにいつも13番線のトイレを使ってたんだって。ホームの端の方にある、古い感じのやつ。夕方の混んでる時間帯、化粧直しとか、そういう用で何度も使ってたって言ってた。 で、ある日。洗面台の前に立ったら、隣の鏡に映ってたのよ。六十代くらいの女の人が。小柄で、背中が少し丸くて、コートの色は——くすんだ紺色だったって。 その人が、ぶつぶつ、ぶつぶつ、何か言いながら、自分の白髪を……むしってたんだって。 指で、根元から。一本、また一本。 洗面台の縁には、すでに何本か落ちてたらしい。白くて細い髪が、ちいさな束になって。 知人はぎょっ
アストラムライン14の呪い
アストラムライン
……お聞きになりますか。 これは、わたくしが直接見聞きしたことではございません。ただ、この社に参られる方々の口から、幾度となく流れ込んでくる話でございます。確かめようのないことではありますが……あまりにも同じ形をして繰り返されるものですから、ここにそっと、お伝えしておこうと思いまして。 広島の町を走る、アストラムライン。高架の上をなめらかに走る、あの白い車両のことでございます。 建設の頃のことだと聞いております。まだ線路も駅も、形になる前のことです。作業員の方々が高架の上で働いておられた、ある日のことだと。橋桁が、落ちたのだそうです。 音は、どれほどのものだったでしょう。鉄と石と、人の声が、一瞬のうちに混ざり合ったのだと。その場にいた方が後に語ったところでは、落ちる瞬間より、落ちた後の静けさの方が、ずっと怖かったと……そう聞いております。何かが消えてしまったような、空気ごとなくなっ
博多駅前の視線
博多駅前のオフィスビル
ねえ、聞いてくれる? 博多駅の前のオフィスビルで、ちょっと変な話が広まってるって……聞いたんだけどね。確かめたわけじゃないから、ほんとうかどうかはわからないんだけど。 その人、仮にKさんって呼ぶね。Kさんは、駅前の会社に通ってた、ごく普通の会社員だったらしくて。朝も夜も、あの人通りの多い博多駅前を歩いて、毎日同じ道を行き来してたんだって。 最初に気づいたのは、秋も深まった頃だったって聞いた。夕方の六時か七時ごろ、退勤ラッシュで駅前はいつもみたいに人でごった返してたのに……なんか、特定の方向から、視線が刺さるような感じがしたんだって。背中じゃなくて、上から。頭の上あたりから、じっと見られてるような。 気のせいだよね、って最初は思ったらしいの。博多駅前だよ?人だらけじゃない。でもね、その感覚が一日だけじゃなかった。次の日も、またその次の日も、同じ場所を通るたびに、首の後ろがひやっとする
三ノ宮駅の消える男の子
JR三ノ宮駅
ねえ、聞いてくれる? これ、友達から聞いた話なんやけど……確かめたわけじゃないから、ほんまかどうかは分からへん。でも、その子、あれから三ノ宮の駅に近づけなくなったって言うてて。 去年の秋やったらしいわ。ある外国人の女性——確かヨーロッパの方から来てた人やったみたいなんやけど——夜の八時過ぎに、JR三ノ宮の駅のコインロッカーのところに立ってたんやって。大きなキャリーケースを二個、ロッカーに預けようとしてた。その日の晩のホテルに荷物を持って行くのが面倒で、ちょっとだけ預けておこうと思ったらしい。 夜の八時って、まだ人はいるじゃない。でも、あのロッカーのコーナーって、ちょっと奥まったところにあるんやって。蛍光灯の光がなんか白くて、周りの雑音がふっと遠くなるような、そういう場所。女性は空いてる大型ロッカーを探しながら、番号を一個ずつ確かめてたらしい。 そのときやったって。 パタパタ、パタ
生田神社の別れのジンクス
生田神社
生田神社、ご存知ですかね。 神戸の三宮、あのにぎやかな繁華街のすぐそばに、ひっそりと鎮まっている神社でございます。縁結びの神様として知られていて、休日ともなれば若いカップルが参道を連れ立って歩いている、そういう場所だそうで。 ただ……聞いた話なんですけどね。 あそこはカップルで行くと、別れるというんです。 まあ、よくあるジンクスですよ、と笑う方もいらっしゃるでしょう。でも私が聞いたのは、ちょっとそれとは毛色の違う話でして。 祀られているのが女神様なんです。それも、愛に深く関わる神様。で、その神様が……ひどく嫉妬深いというんですな。仲のいいカップルを見ると、許せないんだと。特に、長く真剣に付き合ってきた二人ほど、別れる確率が高いってささやかれているらしくて。 確かめようのない話ですけどね。 ただ、ある男性から直接聞いた話がありましてね。 その方、当時三年付き合っていた彼女さん
桜木町駅の亡霊
桜木町駅
さて、ひとつ聞いていただきましょうか。 桜木町の駅のことです。 確かめたわけじゃないんですが、あそこには昔、とんでもない事故があったんだそうで。ずいぶん昔のことらしいんですね。列車が燃えた。それも、走りながら燃えて、乗客が逃げられないまま焼け死んだ、という。大勢の方が亡くなったと聞きます。今の駅舎からそう遠くない場所で。 それがね、もう七十年以上前の話なのに、今でも奇妙なことが続いているというんです。 知人から聞いた話なんですが、その人の友人——仮にKさんとしておきましょう——Kさんが、仕事帰りにあの駅を使っていたそうで。終電近い時間ですね。ホームに降りたら、もう乗客もほとんどいなくて、蛍光灯の光がやけに白く見えたと。 で、ベンチに座って次の電車を待っていたんですね。 そのとき、ふっと、生暖かい風が頬に当たったんだそうです。 夜の駅のホームというのは、どちらかというと底冷えが
銀座線に潜む「再会の地下商店街」
銀座線 (線路の奥、終着駅の先など)
……聞いてもよろしゅうございますか。 これは、確かなこととは申せませぬ。ただ、何人かの口を経て、この社まで流れてきた話でございます。信じるも信じぬも、お聞きになった後でご判断くださいませ。 銀座線のことでございます。 東京の地の下を、もう百年近く走り続けている、あの黄色い車体の古い路線でございます。渋谷から浅草まで、地下をずっと走る。ご存知でしょう。 ある男の方の話だと聞いております。名前は、はっきりとは……ただ、三十代の、会社勤めをされている方だったとか。 その夜、深夜の終電間際だったそうです。上野から浅草へ向かう最終の車両に、ひとりで乗っておられた。車内には他に誰もいなかったと。蛍光灯がひとつ、微妙に瞬いていて、その光の下に自分だけが座っている。窓の外は、当然ながら暗い。ただの黒い壁が流れていくだけでございます。 その方は、少し前にお母様を亡くされていたそうで……。 電車
池袋駅地下の迷宮と消えたホーム
池袋駅地下
……少し、聞いていただけますか。 確かなことは申し上げられません。ただ、この社に参られる方々から、同じような話を何度か耳にしておりますので……そっと、お伝えしておこうと思いまして。 池袋の駅の地下のことです。 あの駅は、地下がとにかく深い、と聞きます。道が幾重にも重なって、どこをどう歩いているのか、慣れた人間でさえわからなくなることがある、と。特に西口の方へ向かう古い通路は、他の場所とは空気が違うと、何人かの方がおっしゃっていました。 ある男の人の話です。名前は存じません。ただ、去年の秋口、深夜の一時を過ぎた頃のことだったと聞いております。終電には間に合ったものの、乗り換えの通路で道を誤ってしまい、西口の方へ続く古い地下道に踏み込んでしまったそうで。 蛍光灯が一本おきにしか点いていない通路だったと言います。壁はタイル張りで、古い染みがところどころに浮いていて、足元から冷気が這い上
池袋四面塔尊の祟り
池袋四面塔尊
ねえ、聞いてくれる? 池袋のこと、なんだけど……ちょっと、耳を貸して。 あのね、池袋の駅から歩いてすぐのところに、「四面塔尊」っていう石塔があるんだって。古い、小さな塔。知ってた?わたしも最近まで知らなかったんだけど、ちょっと調べたら、なんか、ぞっとするようなことが出てきて。 江戸時代にね、あの辺りって「辻斬り」が多発した場所だったらしいの。辻斬りって、夜道で通りすがりの人を、理由もなく、ただ刀の試し切りのために斬り殺すやつ。侍が、ね。何も悪いことしてない人が、ただ歩いてただけで、そこで死んでいく。その犠牲になった人たちを供養するために建てられたのが、あの塔だっていう話なんだけど……供養が、足りなかったのかもしれない、って言う人がいる。 友達から聞いた話なんだけど、確かめたわけじゃないから、そのつもりで聞いてね。 その子が夜遅く、あの塔の前を通ったことがあるんだって。仕事帰りの十
新宿駅地下の潮騒
新宿駅
ちょっと聞いてもらえますか。 新宿の話なんですけどね、まあ確かめようがないんですが、知り合いの知り合いから流れてきた話で……信じるかどうかは、まあお任せします。 去年の秋ごろのことだそうです。二十代の男性、仮にKさんとしておきましょう。飲み会が長引いて、気がついたら終電を逃してしまった。新宿駅の南口あたりで途方に暮れてたみたいで、まあとりあえず始発まで駅の構内を歩いて時間でも潰そうと思ったそうです。それがね、最初の間違いだったのかもしれない。 新宿の地下というのは、ご存知の方も多いと思いますが、あれは本当に複雑でしてね。東口から西口、地下鉄との連絡通路、ショッピングモール……ちょっと気を抜くと、自分がどこにいるのかわからなくなる。Kさんもそうなった。歩いているうちに、見慣れない通路に入り込んでしまったらしい。 おかしいのはですね、そのころ、もう誰もいなかったというんです。夜中の一時
渋谷駅の迷宮出口
渋谷駅
これはですね、ある知人から聞いた話でして。確かめたわけじゃないんですが、妙に細かいところまで覚えてるんですよ、その人が。だからちょっと、気になってて。 渋谷の駅、ご存じですよね。日本一複雑だとか言われてる、あの駅です。再開発が進んでから特に、地下がどんどん深くなって、通路が増えて、地元の人間でも「あれ、ここどこだっけ」ってなるって話は、まあよく聞く話ではあるんですけど。 その知人、仮にKさんとしておきますが、去年の秋口のことだったそうです。終電ひとつ前くらいの時間帯。仕事が長引いて、渋谷で乗り換えようとしたらしいんですね。いつも使ってる通路を歩いてたつもりが、なんか、違う。蛍光灯の色が、ちょっと黄ばんでるんですって。いつも白っぽい光の通路なのに、そこだけ古い蛍光灯みたいな、くすんだ黄色い光がついてて。 最初は「工事中の迂回路かな」くらいに思ったらしいんです。渋谷ってしょっちゅう工事し
もう一人の声
芝公園, 港区, 東京都, 日本
……これは、確かなことかどうか、わたくしには申し上げられません。ただ、ある方から聞いた話を、そのままお伝えするだけでございます。 芝公園に、古い公衆電話がある、と聞いております。東京タワーの灯りが届かぬ、木立の奥の方。昼間はただの古びた箱ですが、夜になると少し、様子が違うのだそうで。 その方——確か、三十少し手前の男の方だったと聞いております——が、その公衆電話の前を通ったのは、十一月の終わりの夜だったそうです。時刻は十一時を回っていた、と。仕事が遅くなって、最終の地下鉄に乗り損ねて、やむなく歩いて帰る途中だったとか。 公園の中は街灯が疎らで、銀杏の枯れ葉が路面に張り付いておりました。踏むたびに、ぐちゃ、と音がした、と。湿って冷たい葉の感触が、靴の底を通じてはっきり伝わってきた、と言うのです。そしてその晩は、風もなく、虫の音もなく——ただ、自分の足音だけが聞こえていた。 公衆電話の
深夜の地下鉄駅
韓国、ソウル
毎晩深夜0時になると、廃駅となった地下鉄の駅に白いワンピースを着た少女が現れるという。彼女はいつも同じ場所に立ち、ホームの端をじっと見つめている。ある夜、私はその噂が本当かどうか確かめるために、その駅へ向かうことにした。 駅に着くと、蛍光灯がちかちかと瞬いており、床には水が薄く溜まっていた。時計は11時59分を指していた。1分後、突然すべての蛍光灯が消え——そして、また灯った。ホームの端に、白いワンピースを着た少女が立っていた。 私は勇気を振り絞り、彼女に近づいた。顔を見ようと肩に手を触れると、彼女はゆっくりと振り返った。そこに顔はなかった。あるのはただ、黒い虚ろだけだった。そして彼女は、私の耳元でそっと囁いた。「次は、あなたの番です。」