あ、これ話していいのかな……でも本当に聞いた話だし、いつまでも抱えてるのも何か違う気がして。
南浦洞にさ、古い映画館があるんだよね。名前は伏せとく、まだそこ知ってる人がいるから。はっきりはしないけど、かなり古いらしくて、数十年は経ってるって聞いた。昔そこでバイトしてたお姉さんがいてさ、友達のお姉さん。そのお姉さんがある日、お酒飲みながらこの話を持ち出したんだけど……お姉さんって元々そういう話しない人なんだよ。淡々としたタイプ。でもその日は本当に、声が違ったんだって。
深夜上映が終わると、十二時過ぎに閉館清掃をしなきゃいけないんだって。お姉さんが担当してたのが3番スクリーン。一番奥にある小さな上映室。お客さんが全員出たあと、照明が半分落ちた状態でひとりで入って、カップとかゴミを拾って、座席を拭いて出てくるだけ。別に大したことないじゃん、ただの清掃だし。
でもある夜のことらしくて。お姉さんが一番前の列から順番に拭きながら後ろへ上がっていってたんだけど、後ろの方から……音が聞こえてきたんだって。最初は換気口の音かと思ったって。ただぼんやり唸ってるような音。でも進むにつれてわかってきたんだって、それがただの機械音じゃないって。誰かが泣いてるんだって。すすり泣いてるんだけど、堪えるみたいに。わあわあ泣くんじゃなくて、息を殺して、こらえながら泣くあの音。それが聞こえてきたんだよ、誰もいない映画館で。
お姉さんが立ち止まったんだって。息もできなくて。後ろの真ん中あたりの座席から聞こえてくる感じなんだけど、そこは照明がなくて本当に真っ暗なんだよ。お姉さんがスマホのライトをつけて照らしてみたら……
座席には何もない。誰もいない。
でも音はずっと聞こえてるんだよ。まさにその座席から。
お姉さんはそのとき足の力が抜けたって言ってた。逃げなきゃいけないのに足が動かない感じ、あるじゃん。無理やり一歩踏み出した瞬間、肩をぽんと叩かれたんだって。手だよ、どう見ても。指の感触がわかるくらい。後ろから。ぱっと振り返ったら何もいなくて、でもお姉さんが言うには……空気が違ったって。冷たいんじゃなくて、じっとりと重い感じ。夏なのにそこだけそうだったって。誰かがずっと座ってた席みたいな匂いがしたって、人の匂い。汗と、何かかび臭いような。
お姉さんはそのまま飛び出して、翌日辞めたんだって。
あとから聞いた話なんだけど、確かじゃないんだけど、その映画館で昔一度事故があったらしいんだよね。深夜上映の最中に。詳しいことは誰も話さなくて、ただ口を噤んでるんだって。でもその事故が3番スクリーンだったって話があるんだよ。
それでお姉さんが最後に言ったことがあって。スマホで照らしたとき確かに何もいなかったのに、その座席の背もたれに……沈んだ跡があったって。ついさっきまで誰かが座ってたみたいに。布地がぐっと凹んでたって。
今でもその座席番号を覚えてるって言ってたよ、お姉さん。でもそれだけは言えないって。