これはね、淀川沿いの話です。
確かな筋からではないんですが、まあ、聞いてください。
大阪に住んどる知人から聞いた話で、その人もまた誰かから聞いたっていう、そういう話です。ですから、どこまで本当のことかは、わたしにも保証できません。
淀川の、ちょうど橋から少し離れたあたり。正確な場所は、あえて言わないでおきますが、川沿いの古い倉庫の話です。何十年も使われてない、鉄製の扉が半分錆びついて、もう開けることもできないような、そういう建物だと聞いています。周りの住民は、誰もあそこには近づかないと。近づかないどころか、夜はその道を通ることすら避けるんだって。
なんでかって言うとね、霧が出るんだそうです。夏の夜でも、あの倉庫の周りだけ。川霧というには妙で、風が吹いても動かないような、そういう霧が。そして静かなんだと。川べりですから本来なら水音がするはずなのに、あのあたりに来ると、すうっと音が消える。虫の声もない。風の音もない。
その静けさの中に、時々、音がするんだそうです。
低いうめき声、とも言うし、何か重たいものをずるずると床に引きずるような音、とも聞きます。まあ、古い建物ですから、きしむ音のひとつやふたつは出るでしょう。ただ、あの音はそういうものとは違うと、近くに住んでいた人が言っていたそうで。
さて、その倉庫に入った学生がいるんです。
三人か四人だったと聞きます。大学生で、まあ、夏の終わりだったかな。肝試しのつもりで。懐中電灯を持って、夜の十一時を過ぎたころに。
錆びた扉は、意外にもあっさり開いたそうです。それが、後から思うと、おかしかったと言っていた。ずっと誰も使っていないはずなのに、まるで最近も誰かが出入りしていたみたいに。
中に入ると、まず冷たさが来たと言います。八月の夜なのに、一歩足を踏み入れた瞬間に、肌がぞっとするような冷気が全身を包んだ。それと、においですね。かびの臭いじゃなくて、もっと濃い、鉄さびと何か有機的なものが混じったような、重たいにおい。
壁には古い工具が並んで、床には何かの機械の残骸が散らばっていた。懐中電灯の光の中で、学生たちは奥へ進んでいった。
そのうちの一人が、床に落ちているものを拾い上げた。
古い手帳でした。表紙はふやけて字が読みにくいけれど、中のページには、この倉庫で働いていた作業員のものらしい日常の記録が続いていた。何年か分の、淡々とした記録。ある年の秋ごろから、書き方が変わってくる。文字が乱れて、行が曲がって。同僚が「また来なかった」とか、「夜に声がする」とか、そういうことが書いてある。最後のページはほとんど判読できなかったそうですが、一行だけ、はっきりと読めた。
「ここにいるものは、出ていった人間を待っている」
その一行を読んだ瞬間に、倉庫全体が、ゆっくりと揺れ始めたと言います。
学生たちは出口へ走った。走りながら、背中に何かの気配を感じた。一人が思わず振り返った。
懐中電灯の光の端に、人の形をしたものが見えたと言っています。立っていた、とか、歩いていた、とかじゃなく、ただそこにあった。そして、ゆっくりと腕を伸ばしていた。こちらへ向かって。
外に出て、四人は川べりの道を走って逃げた。誰も何も言わなかったそうです。息が切れても止まらずに、ずっと走った。
それから、その学生たちは二度とあの倉庫の話をしなくなったと聞きます。聞いた話ではそういうことで、なぜ話さなくなったのかまでは、誰も聞けなかったと。
ただ、一人だけ、後になってぽつりと漏らしたことがあったそうです。
「あの夜、倉庫を出たとき、数えたら一人多かった」