……ねえ、聞いてくれる。
太宰府天満宮の話なんだけど。去年の秋、私の後輩の子が経験したことで……本人から直接聞いたから、私はこれが頭から離れなくて。
あそこ、境内の池に橋が三つかかってるの、知ってる? 過去、現在、未来って呼ばれてて、カップルで渡ると縁が切れるって、昔からそういうことが言われてるみたい。まあ、観光地の言い伝えでしょって、普通は笑えるやつよね。
その子も笑ってたの。彼氏と一緒に、手をつないで、三つ全部渡りながら。十一月の、晴れた午後だったって。参道に梅ヶ枝餅の甘い焦げたにおいがして、修学旅行の学生がわあわあ声を立ててて、境内は人でいっぱいで。怖いとか変とか、そういう気配は何もなかった、って。
ただ、三つ目の橋を渡り終えたとき。
振り返った瞬間に、周りの音がすうっと引いた感じがしたって。人はいるのに、なんか、水の底みたいに声が遠くなって。
それで……手をつないでる彼氏の手が、冷たかったって。
十一月だから、そりゃ冷えるよって話なんだけど。でも、指の一本一本が、芯まで冷え切ってる感じで。体温がない、っていうか、生き物の手じゃないみたいな冷たさで。思わず顔を見たら、彼氏が橋のほうをじっと見てたんだって。
何を見てるの、って聞いたら、「あ、なんでもない」って笑った。
でもその視線の先、池の水面には、紅葉の葉っぱが一枚浮かんでるだけで……何もなかったって。
……ここまでだったら、まあ、気のせいで終わる話なのよ。
怖くなったのは、その夜のこと。
家に帰ってから、橋の上で二人で撮ったスマホの写真を見返したんだって。自撮りだから、後ろに池が写ってる。紅葉で赤く染まった、きれいな写真で。
でもね。
池の向こう岸に、白っぽい何かが写ってたって。
人の形をしてる、って思うような輪郭で。でも顔はなくて、ただ立ってるだけで。ピントが合ってないわけじゃないんだって。向こう岸の木も石も、ちゃんとくっきり写ってるのに、それだけがぼんやりしてて……まるで、こっちに焦点を合わせてるみたいに。
二人を、見てる。
気持ち悪くて、すぐ消したって。
でもね。消した翌日から、彼氏の様子がおかしくなったって聞いて、私は背中が冷えたの。
返信が遅くなって、会っても目が合わなくなって。笑うんだけど、目が笑ってない。その子が言うには、一枚薄い幕を隔てて話してるみたい、って。触れてるのに、届かない感じ、って。
三ヶ月後に別れたの。彼氏から。「なんとなく気持ちが離れた」って、それだけ言って。
……偶然だと思う。そりゃ、そう思いたい。
でもね、その子から話を聞いてずっと気になってることがあって。
あの三つの橋、地元では昔からこういうふうに言い伝えられてるらしいの。過去の橋で何かを忘れる。現在の橋で何かとすれ違う。未来の橋で……何かを、連れてくる。
何を連れてくるのか、は誰も言わないんだって。
写真の中の、あの白い輪郭。
それが二人を見送ってたんじゃなくて、三つ目の橋を渡り終えた瞬間に、二人のどちらかと……静かに、入れ替わってたんじゃないかって、私は思ってて。
だって、変わったのは橋を渡った翌日からだったって、言ったでしょ。
その子、今でもときどきスマホのアルバムを開くって言うの。消したはずなのに、まだそこにあるんじゃないかって思って、指が動くって。
開くたびに、ない。
ちゃんと、ない。
……でも、消した後に彼氏の顔が変わったんだとしたら。
あの写真を消したとき、中に閉じ込めてたものを、どこかへ逃がしてしまったんじゃないかって。
池の向こう岸で、焦点の合わない目でこちらを見ていたあれが、今はもう、写真の外にいるってこと。