これはですね、あたしが直接見たわけじゃありませんが、御岳山に縁のある方から聞いた話でして。確かめようにも確かめられない、そういう類の話です。
あれは数年前の、十月の末のことだったと聞いています。
都内の大学で民俗学を専攻している学生が、四人でフィールドワークに出かけたんですね。テーマは「夜泣き岩」。御岳山に、そう呼ばれている岩があるそうです。地元では昔から、夜になるとその岩から赤子の泣き声が聞こえてくる、と言い伝えられているらしくて。
学生たちはそれを論文の題材にしようとしていた。まあ、若い人らしい、半分は好奇心ですよね。
ケーブルカーを降りてからも、しばらく山道を歩いたそうです。十月の御岳山は、日が暮れるのが早い。木々の間から見える空が橙から紫に変わっていくなか、四人は懐中電灯を頼りに進んでいった。
岩は、想像よりずっと大きかったと。人の背丈ほどもある、黒ずんだ表面に苔がびっしりと張り付いた岩で、その苔が、懐中電灯の光を吸い込むみたいに鈍く光っていたそうです。空気もひんやりしていて、吐く息が白く見えたと言っていました。
四人の中にミキちゃんという女の子がいたんですが、その子が最初に耳を当てたそうです。ほんの好奇心で。
三十秒ほどそうしていて、顔を上げたとき、表情が変わっていたと。笑っていた顔が、すっと真顔になって。何か聞こえた、と言ったんですね。
他の三人も耳を当てた。風の音しか聞こえない、という子もいれば、何かある気がする、という子もいた。でも、ミキちゃんは一番最初から「聞こえてる」と繰り返していたそうです。
録音しておこうということになって、スマートフォンを岩の表面に当てて、四人は少し離れて待った。
五分ほど経ったときです。
ミキちゃんが急に、しゃがみ込んだ。両手で耳を塞いで。仲間が「どうした」と声をかけても、首を横に振るだけで何も言わない。
しばらくして、やっと口を開いたんですが、彼女が言ったのはこういうことでした。
「岩の中で、子供が笑ってる」
泣いているんじゃなくて、笑っている、と。
仲間は最初、聞き間違いかと思ったそうです。夜泣き岩なんだから、泣き声じゃないのか、と。でも彼女は首を振って「違う、笑ってる、ずっと笑ってる、でも目が笑ってない」と言い続けていた。
そこへ、突然、後ろから声をかけられたそうです。
振り向くと、年配の男性が立っていた。山の管理に関わっている方だったのか、地元の人なのか、はっきりとはわからないそうですが、その人がひとこと、「早く離れなさい」と言った。
怒っているわけでもない、穏やかな声だったそうですが、「その岩はな、昔、子供が埋められとる」と言ったそうです。それ以上は何も言わずに、ただ「早く」と繰り返した。
四人は山を下りました。
宿に戻ってから、録音した音声を再生したそうです。
泣き声はなかった。笑い声もなかった。風の音だけが、ざあざあと続いていた。
でも、最後の方に、一瞬だけ。
録音の終わりぎわに、スマートフォンを回収したときの足音に重なって、子供の声が一言だけ入っていた。
泣いているのでも、笑っているのでもなく。
「まだいる」と、そう聞こえたそうです。
ミキちゃんはその後、しばらく岩の夢を見たと言っていた。夢の中では、岩は夜になると内側から光るんだそうで。でも、その光の色が、どうにも火の色じゃないらしくて。
どんな色か聞いたら、彼女は少し間を置いてから、こう言ったそうです。
「歯の色」と。