影のない老女
AI AI 生成の創作フィクションです(音声・画像も AI 生成)。実在の出来事・人物・団体・場所とは無関係です。

長崎に来て三週間が経った頃、私は初めて東山手の坂道で迷子になった。
観光ガイドには「異国情緒あふれる坂の町」と書いてある。確かにその通りだった。石畳の坂道が幾重にも折り重なり、古い西洋館の白い漆喰壁が午後の光を受けて柔らかく輝いている。港から吹き上げる潮風が、坂の途中に立つ楠の葉を揺らし、その隙間から稲佐山のシルエットが見えた。私は東京の出版社を辞め、フリーランスのライターとして「日本の港町」をテーマにした連載を引き受けたばかりで、長崎を最初の取材地に選んでいた。東山手の旧居留地跡——明治期に外国人たちが暮らした丘の上——は、その取材の核心になるはずだった。
私の名前は高瀬朋子、三十一歳。カメラと取材ノートを入れたトートバッグを肩にかけ、石段を一段一段上がりながら、古い写真を撮っていた。十月の長崎は、東京より少し蒸し暑さが残っていて、坂を上るたびに首の裏に汗がにじんだ。それでも、この街の空気には独特の濃さがあった。歴史の重さとでも言うべき何か——幕府の禁令も、異邦人の望郷も、原爆の炎も、すべてが地層のように積み重なった土地の息吹が、坂の石畳からじわりと染み出してくるような感覚。私はその感覚が好きだった。少なくとも、あの夜が来るまでは。
坂道の途中に、私が「旧七番館」と呼ぶようになった建物があった。正式な名称は看板がなくて分からなかったが、明治時代に建てられたと思しき木造二階建ての洋館で、白と薄緑に塗り分けられた鎧戸が印象的だった。観光マップには載っていない。周囲の整備された西洋館群からわずかに外れた場所に建っており、門扉には錆びた南京錠がかかっていた。窓は閉じられていたが、ガラスは割れておらず、庭の草も完全には荒れ切っていなかった。人が住んでいる気配も、完全に廃屋という雰囲気もない。その中途半端な佇まいが気になって、私は何度かシャッターを切った。
その日の夕方、取材を終えて丘を下りる途中、私は坂道の角で一人の老女に会った。八十歳前後に見えた。黒い地に細かな花柄の着物を着て、白い手拭いを頭に巻いていた。坂の脇の石垣に手を当て、ゆっくりと息を整えていた。「大丈夫ですか」と声をかけると、老女は顔を上げ、深い皺の中から澄んだ目を向けてきた。「ああ、ちょっと息が切れただけよ。坂がきついけん」と、柔らかい長崎弁で答えた。私はしばらく一緒に立って、港の方を眺めた。夕陽が長崎湾を橙色に染め、対岸の山々がシルエットになって沈んでいく。老女はそれを見ながら、ぽつりと言った。「あの館には、近づかんほうがよかよ」
私は振り返り、老女の視線の先を追った。彼女が指していたのは、私が何度も写真を撮った旧七番館だった。「なぜですか」と聞くと、老女は首を横に振った。「昔からそうたい。坂の人間は皆知っとる」それ以上は何も言わず、老女はゆっくりと坂を下り始めた。私は声をかけようとしたが、夕暮れの逆光の中でその小さな背中はすぐに見えなくなった。坂を下りていった方向に人影は見当たらず、路地を曲がった様子もなかった。ただ、夕風が石畳を渡っていくだけだった。
その夜、宿に戻って撮った写真を確認していると、一枚だけ妙なものが撮れていた。旧七番館の二階の窓を正面から撮った写真で、閉じた鎧戸の隙間から薄暗い室内が少し見えていた。その暗がりの中に、何かが立っている。人の輪郭に似た影だったが、それが本当に人なのか、単なる家具や柱が影になったものなのか判断できなかった。私はその写真を何度も拡大したが、結論は出なかった。廃屋に不法侵入者がいるだけかもしれない、と思いながら、私はその写真をフォルダの奥に保存した。
翌日から数日間、私は意識的に旧七番館を避けた。避けながらも、坂を通るたびにその建物が目に入った。石畳の坂を上る観光客たちは誰も足を止めず、まるで建物が見えていないかのように通り過ぎていく。ある日、地元の書店で明治期の長崎の写真集を見ていると、東山手の古い地図が載っていた。旧居留地の区画割りと、番号のついた洋館の配置図。七番地の位置に建つ洋館の名前は「フィルゲン邸」とあった。所有者の名前の下に、細い活字で注記がついていた。「一八九七年、家人行方不明。以後無住」。たった一行。それ以上の記述はなかった。
私がその書物を閉じたとき、店の棚の隙間から外の石畳が見えた。夕方の斜光を受けた坂道に、着物姿の小柄な人影が立っていた。一瞬だけ、それがあの老女に見えた。しかし次の瞬間には消えていた。私は書店を出て坂を見渡したが、そこには誰もいなかった。街灯がひとつ、橙色の光を石畳に落としていた。
問題の夜は、その三日後だった。
深夜の一時過ぎ、私は目が覚めた。宿の窓の外から、何か音が聞こえた気がした。坂道を歩く、石畳を踏む靴音に似ていたが、リズムが妙だった。一歩一歩の間隔が不均等で、まるで何かを引きずりながら上っているような音だった。私は窓を開けて外を見た。夜の東山手は静かで、石畳の坂が街灯の光の中に白く伸びていた。人影はなかった。だが音は聞こえていた。どこかから、確かに聞こえていた。

眠れないまま夜明けを待った。空が白みはじめた頃、私はカメラを持って坂に出た。誰もいない早朝の石畳は、霧に包まれていた。長崎の朝霧は独特で、港から上がってくる霧が坂の途中で停滞し、膝のあたりまで白く覆う。その霧の中を歩いていると、足元だけが現実で、上半身は夢の中に浮いているような感覚になる。私は気づかないうちに、旧七番館の前まで来ていた。
錆びた南京錠が、地面に落ちていた。
門扉は半開きになっていた。私は立ち止まり、しばらく建物を見つめた。理性は「入るな」と言っていた。しかし私の足は、霧の中をゆっくりと前に進んでいた。ライターとしての好奇心、などという言い訳は後から思いついたものだ。あの時、私を引き込んだのは好奇心ではなかった。もっと引力に近い何か——坂道が傾いているように、ごく自然に、足が動いていた。
庭は思ったより広かった。玄関ポーチの柱には蔦が絡まり、木製の扉の塗料は剥げていたが、扉そのものは立派な造りだった。扉に手を当てると、内側から微かな温もりを感じた気がした。押すと、音もなく開いた。
中は薄暗かった。鎧戸が閉じているため、朝の光はほとんど入ってこない。私はスマートフォンのライトをつけた。玄関ホールに石タイルの床。古い木製の階段。壁には額縁が並んでいたが、中の絵は取り外されており、長方形の痕だけが薄い埃の中に残っていた。埃の積もり方が奇妙だった。入口から奥へ向かう廊下には、ほとんど埃がなかった。まるで定期的に誰かが歩いているかのように、床板が薄く光っていた。
奥の部屋に向かいながら、私は何かに気づきはじめていた。建物全体に、微かな匂いがした。石鹸か、あるいは花の香りか。古い建物特有のカビや腐食の臭いではなく、清潔な、人の生活の匂いに近いものだった。奥の部屋の扉の前で、私は足を止めた。扉の下の隙間から、わずかに光が漏れていた。
電灯がついている。
私は扉を押した。
部屋の中央に、椅子が一脚あった。椅子には人が座っていた。老女だった。あの、坂の石垣で息を整えていた老女。着物のまま、両手を膝の上に置き、こちらに背を向けて座っていた。電灯ではなく、部屋の隅に置かれた古い卓上ランプの光が、老女の背中を照らしていた。「すみません」と私は声をかけた。老女は動かなかった。もう一度呼びかけようとした瞬間、私は床に目をやった。
老女の足元に、影がなかった。

窓から差し込む朝の薄明かりと、ランプの光。どちらの光源も確かに存在していた。私自身の影は、床に落ちていた。だが老女の影は、どこにもなかった。椅子の脚が床に落とす影はあった。しかし老女の体の下に、何も落ちていなかった。まるで椅子だけが存在して、その上には何も乗っていないかのように、床は清潔に光っていた。
私は息を詰めた。心臓が、痛いほど強く打った。後退しようとした瞬間、老女がゆっくりと振り返った。
顔があった。人の顔だった。深い皺、澄んだ目、白い手拭い——すべてあの日の老女と同じだった。だが何かが、決定的に違った。老女はゆっくりと口を開き、私に向かって言った。「帰りよったとね。やっと帰ってきたとね」その声は穏やかで、懐かしむような柔らかさがあった。しかしその言葉は、明らかに私に向けられたものではなかった。老女の目は私を見ていたが、私を見ていなかった。私の向こうにある何か、私の背後にある誰かに向けて、その言葉は発せられていた。
私は振り返れなかった。
背中に、確かに気配があった。温かくも冷たくもない、ただそこに存在する何かの気配。人が立っている気配。いや——人だったものが立っている気配。私は全身が石になったように動けなかった。老女は微笑んでいた。その笑顔が、あまりにも穏やかで、あまりにも自然だったことが、何よりも恐ろしかった。悲鳴も出なかった。恐怖が喉を塞いでいたのではなく、この空間の静けさが、声を発することを許さなかった。
次の瞬間、私の足が動いた。意思ではなかった。体が、本能だけで走っていた。廊下を駆け、玄関を抜け、霧の庭を横切り、門の外の石畳に転がり出た。足がもつれて石畳に膝をついたが、痛みを感じる前にまた立ち上がり、坂を駆け下りた。街灯の光が流れ、霧が顔を打ち、石畳の感触だけが現実だった。宿に飛び込み、部屋の鍵をかけ、ドアに背中をつけて崩れるように床に座った。
しばらく、時間の感覚がなかった。
気がつくと、窓の外は完全に明るくなっていた。長崎の朝の光が、カーテンの端から差し込んでいた。港の方から、船の汽笛が聞こえた。私はゆっくりと立ち上がり、昨夜撮った写真を確認しようとカメラを取り出した。旧七番館の中を撮った記憶はなかったが、走る前に無意識にシャッターを切っていたかもしれない、と思ったからだ。
カメラのデータを見ると、確かに旧七番館の内部を撮った写真があった。廊下の写真、奥の部屋の扉の写真。そして部屋の中の写真が一枚あった。
写真には、椅子が写っていた。部屋の中央に、一脚の椅子。ランプの光が椅子を照らしていた。椅子は、空だった。老女の姿は、どこにも写っていなかった。
それだけなら、まだ良かった。

問題は、椅子の後ろだった。部屋の奥の壁際——私が振り返れなかった方向——に、人の輪郭が写っていた。光を遮るような濃い影ではなく、むしろ光を集めるような、白く滲んだ輪郭。その姿は、明治期の洋服を着た人間のシルエットに見えた。顔は判別できなかった。ただ、その輪郭が、こちらに手を伸ばしているような形をしていた。
その手が届こうとしていたのが、椅子の背もたれに向けてなのか、それとも私の背中に向けてなのか、私には判断できなかった。
その日の昼過ぎ、私は宿をチェックアウトした。取材ノートには何も書けていなかった。東京に帰る新幹線の中で、私は何度もあの老女の言葉を繰り返した。「帰りよったとね。やっと帰ってきたとね」。一八九七年に行方不明になったという「家人」の話が、頭から離れなかった。あの家に、誰かがずっと待ち続けているとしたら。そしてあの老女は、何十年もそこで待ち続けたものが——ある夜、外から聞こえる靴音に引き寄せられて——ついに扉の前まで戻ってきた、その瞬間を、見届けるためにそこにいたとしたら。
あるいは老女もまた、帰ってきたものの一人だったとしたら。
東京に戻ってから二週間が経った。連載の原稿は書いた。東山手の坂道の美しさを書いた。歴史を書いた。異国情緒を書いた。旧七番館のことは、一行も書かなかった。
ただ、一つだけ変わったことがある。
夜中に目が覚めると、東京の自室の窓の外から、坂道を踏む靴音に似た音が聞こえることがある。マンションの三階、周囲に坂道などない場所で、確かに聞こえる。石畳を踏む、不均等なリズムの音。私はその音を聞くたびに、布団を引き上げて目を閉じる。振り返らない。振り返れば、何かが私の向こうで微笑んでいるような気がして。
ただ一つだけ、どうしても拭えない疑問がある。
あの部屋に入った時、私は確かに玄関扉を開けた。しかし私がその部屋から逃げ出した後、宿に飛び込む直前、ふと後ろを振り返った。遠ざかる旧七番館の門扉は、きちんと閉まっていた。南京錠まで、かかっていた。
私は、どこから出てきたのだろう。
