AI カイダンボット 日本語 原作

一葉横丁

AI AI 生成の創作フィクションです(音声・画像も AI 生成)。実在の出来事・人物・団体・場所とは無関係です。

一葉横丁

十月の末、私が京都に着いたのは夕暮れ時だった。四条河原町のバスターミナルを降りると、鴨川沿いの風が着物の裾のようにひらりとまといついてきた。それは秋の終わりの匂いのする風で、腐葉土と線香と、ほんのわずかな金木犀の残り香が混じっていた。私は一週間分の荷物をショルダーバッグに詰め込み、石畳の路地へと踏み込んだ。

目的は仕事だった。京都の古い町並みを取材し、写真と文章で構成した旅行記事を書く。それだけの、ごく平凡な出張だった。担当編集者の吉沢さんから送られてきたメモには「祇園の裏通りを重点的に」とあり、地図には赤いペンで花見小路から一本折れた細い路地にしるしが付けられていた。「観光客があまり入らない、本物の祇園の空気がある」と吉沢さんは言っていた。

宿は宮川町の外れにある小さな町家を改装した旅館だった。玄関を入ると番頭らしき老婦人が音もなく現れ、廊下を案内してくれた。廊下の奥には坪庭があり、苔むした石灯籠が薄暗がりの中に立っていた。部屋は二階の角部屋で、格子窓から細い路地が見下ろせた。路地には提灯がいくつか灯っていて、石畳の上に橙色の丸い影を落としていた。私はその光景をしばらく眺め、それから机の上にノートパソコンを広げて仕事の段取りを確認した。

翌朝から取材を始めた。花見小路を歩き、南座の前で写真を撮り、八坂神社の鳥居をくぐった。観光客が多い昼間は避け、早朝と夕方に路地を歩くことにした。朝の祇園は静かで美しかった。石畳に水が打たれ、格子戸の向こうから三味線の音が漏れ聞こえることもあった。私はそういう瞬間を丁寧に記録した。

三日目の夕方、私は初めてその路地に入った。花見小路を南に下り、小さな石段を降りたところにある横丁で、路地の入口には錆びた表札がかかっていた。文字は半分消えていて読めなかった。路地の幅は両手を広げると壁に触れるほどしかなく、頭上には家と家の間から細い空が覗いていた。夕暮れの空はちょうど藍色に変わりはじめていて、その色が石畳の水たまりに映り込んでいた。

路地の奥に向かって歩くと、すぐに観光地の賑わいが遠のいた。代わりに聞こえてくるのは自分の足音と、どこかの家の換気扇が回る低い音だけだった。両脇に並ぶ家々は古く、格子窓は暗く閉ざされていた。どの家にも表札がなく、郵便受けには何も入っていなかった。生活の痕跡がないわけではない。軒先に干された布巾が一枚、小さな植木鉢に枯れかけた菊が一輪。しかしそれらは人の気配というより、人が去った後の残滓のように見えた。

路地の中ほどに差し掛かったとき、私は誰かに見られている気がした。背筋ではなく、うなじの皮膚がざらりと粟立つような感覚だった。振り返っても誰もいない。ただ、石畳の向こうに自分が入ってきた路地の入口が見えるだけだった。入口の向こうには花見小路の提灯の光が遠く滲んでいた。私は少し笑って、プロの物書きが怖気づいてどうするんだと自分に言い聞かせ、また前を向いて歩き出した。

その日の取材は特に変わったことなく終わった。路地を突き抜けると小さな神社の境内に出て、そこから宮川町の方向に戻ることができた。神社の名前は石造りの社号標に刻まれていたが、苔に覆われていて最後の一文字だけが読めた。「社」という字だった。境内には誰もおらず、拝殿の前に置かれた賽銭箱は古びていたが、その前には新しい榊が供えられていた。誰かが最近ここに来たのだと、私はそのとき思った。

四日目の夜、私はまた同じ路地に入った。今度は夜の八時過ぎで、提灯の光だけが頼りだった。カメラを持ち、夜の路地の写真を撮るつもりだった。路地の入口の錆びた表札の前で立ち止まり、シャッターを切った。液晶画面で確認すると、表札の文字が思ったよりはっきり写っていた。「一葉横丁」と読めた。

路地を歩きながら、私はいくつか写真を撮った。濡れた石畳、格子戸の影、軒先の小さな提灯。カメラを構えるたびに、ファインダーの中の路地は現実よりも深く、どこか遠くまで続いているように見えた。気のせいだとわかっていても、そのたびに少し息が詰まった。

路地の中ほどを過ぎたころ、私は立ち止まった。三日目に感じた、見られているという感覚が戻ってきたのだ。今度はもっとはっきりしていた。背中だけでなく、頭の後ろから首の付け根にかけて、じわりと熱くなるような感触があった。私はゆっくり振り返った。

路地の入口近く、提灯の光が届かない暗がりに、女が立っていた。

白い着物を着た女だった。いや、正確には着物の色というより、女そのものが白く見えた。顔は影になっていてよく見えなかった。ただ、立ち姿が妙だった。背筋が真っ直ぐすぎるのだ。人間の背骨はどこかしら自然に弛んでいるものだが、その女の立ち姿にはそれがなかった。まるで背骨の代わりに棒を一本通したような、人形めいた垂直さだった。

一葉横丁

私は声をかけようとして、声が出なかった。出なかったというより、声を出すことが場違いに思えた。その空気の中に音を差し込むことへの、理屈ではない抵抗感があった。女はこちらを向いているようだったが、動かなかった。三秒か、五秒か、私たちはそうして向き合った。

それから女は動いた。動いたというより、消えたというべきかもしれない。路地の暗がりに沿って、すっと横に引き込まれるように姿が消えた。そこには格子戸があり、女は格子戸の向こうに入ったのだと私はそのとき判断した。人が家に入った、ただそれだけのことだと。しかし、格子戸の開く音も閉まる音もしなかった。

その夜は旅館に戻ってから、長いこと眠れなかった。格子窓の外に橙色の提灯の光が揺れていて、その光が石畳の上で伸びたり縮んだりしていた。私は布団の中で目を開けたまま、女の立ち姿を何度も思い返した。思い返すたびに、何かが少しずつずれていくような感じがした。最初は「背筋が真っ直ぐだった」と記憶していたのに、いつのまにか「首が少し傾いていた」という記憶が加わり、そしてまた「いや、首は傾いていなかった」と打ち消される。記憶が定まらなかった。ただ一点だけ、どうしても消えない印象があった。女の足元が、石畳の上になかったような気がするのだ。

五日目の朝、私は宿の老婦人に一葉横丁のことを訊いた。老婦人は茶を注ぎながら、少しの間黙っていた。沈黙は三秒ほどで、それから彼女は「ああ、あそこ」と言った。声のトーンは変わらなかった。変わらなかったからこそ、私は少し身構えた。

「あそこには昔、置屋が並んでおりましたの」と老婦人は言った。「戦前のことですけれど。今はもう、ほとんど住んでいる方もおりませんで」

私は夜に女を見たと話した。老婦人は茶碗を持ったまま、私の顔を一度だけ見た。その目の中に何があったのか、私にはうまく読めなかった。驚きではなかった。かといって、「またか」という諦めでもなかった。もっと別の何かで、それは私には名前のわからない表情だった。

「あそこの路地は、夜は歩かない方がよろしいかと」

それだけ言って、老婦人は話を打ち切った。私は追加の質問をしようとしたが、彼女はすでに立ち上がって廊下の奥に消えていた。廊下の先には坪庭があり、石灯籠がその朝も同じ場所に立っていた。

その日の昼間、私は図書館に行った。京都の地元の歴史を扱った書棚を探し、祇園の花街の変遷を記した資料を読んだ。一葉横丁という名前は出てこなかった。しかし宮川町の近くの一角に、戦前まで置屋が密集していた区域の記録があり、そこには「一葉通り」という呼称が使われていた。資料には古い地図が添付されていて、その一角に小さな印がいくつかついていた。印の脇に鉛筆で書き込まれた字があり、それは他の誰かの手によるものだった。「供養未了」と書いてあった。

誰が書いたのか、いつ書かれたのか、わからなかった。資料は貸し出し中の記録がなく、長い間誰も手に取っていない様子だった。ページの端は黄ばみ、古い紙の匂いがした。私はその「供養未了」という四文字を手帳に書き写し、図書館を出た。

五日目の夜、私は一葉横丁に戻らないつもりだった。しかし、宿に戻って夕食を済ませ、風呂に入り、部屋の電気を消して横になったとき、私はもう一度あの路地に行きたいと思っていた。思いたいと思ったのではなく、気がついたら思っていた、という感じに近かった。それが自分の好奇心なのか、それとも別の何かに引き寄せられているのか、私には区別がつかなかった。

夜の十一時、私は外に出た。花見小路の提灯はもう半分ほどが消えていて、観光客の姿はなかった。石畳の上に落ち葉が一枚、風に押されてくるくると回っていた。私は一葉横丁の入口に立ち、中を覗いた。昨夜よりも暗かった。路地の中ほどにある提灯が一つ、消えていた。

一葉横丁

路地に入った。足音が石畳に響いた。行くほどに、祇園の外の音が遠くなった。タクシーのエンジン音も、どこかの店の音楽も、すべてが綿の中に埋もれていくように消えていった。残るのは自分の足音と、自分の呼吸と、それから石畳の冷気が靴底を通して伝わってくる感触だけだった。

路地の中ほどに来たとき、私は足を止めた。

昨夜、女が立っていた場所だった。

今夜は誰もいなかった。しかし、その場所だけ空気が違った。温度が違うのではなく、密度が違うような気がした。その一点の空気が、周囲よりもわずかに重く、わずかに濃いように感じられた。私はカメラを持ち上げ、その場所にレンズを向けた。

シャッターを切った。

液晶画面を確認した。

私の喉が、音もなく閉じた。

写っていた。

白い着物の女が、昨夜と同じ場所に立っていた。しかし今度は顔が見えた。顔が見えたのではなく、正確には、顔があるべき場所に何もなかった。のっぺらぼうのような意味ではない。顔の輪郭はある。目も鼻も口も、形の上ではある。しかしそれらがまとっているはずの「表情」がなかった。喜怒哀楽という以前の、人間の顔が持つ根本的な「何かがある」という感覚が、その顔には欠けていた。まるで顔の形をした空白だった。

私は液晶から目を上げた。路地は暗く、人の姿はなかった。

もう一度液晶を見た。女はまだそこに写っていた。

そのとき私は気づいた。写真の中の女は、私の方を向いていなかった。女が向いていたのは、私の後ろだった。

私は振り返った。

路地の入口、花見小路に続くあの出口に、誰かが立っていた。

白い着物だった。

一人ではなかった。

一葉横丁

出口の暗がりに、白い影が重なるようにして、二人、三人、もっと多くの数が立っていた。それらは動かなかった。ただ立っていた。私が路地に入ってきたあの入口を、内側から埋めるように。

足が動かなかった。

私は前を向いた。路地の奥に続く出口、神社の境内に通じるあちら側はまだ開いていた。闇の中に細い光が見えた。街灯の光か、それとも神社の境内灯の光か。私は歩いた。歩きながら後ろを見なかった。見たら動けなくなると思った。足音が速くなり、やがて走っていた。石畳の上を革靴で走る音が路地に響き、それが自分の耳に戻ってくるたびに、足音が一つ多い気がした。

境内に出た。神社の拝殿の前に立ち、私はしばらく肩で息をした。境内は静かで、木の葉が風に揺れていた。振り返ると、路地の出口は暗くて何も見えなかった。誰も追ってこなかった。

翌朝、私は旅館を出た。予定より二日早いチェックアウトだった。老婦人は何も訊かなかった。ただ見送るときに、短く「お気をつけて」と言った。その言葉の中に、初めて会ったときにはなかった何かがあった。何かとは何か、私にはうまく言えない。ただ、その言葉は旅の無事を願う言葉ではなく、もっと具体的な何かへの、名前のない警告のように聞こえた。

東京に戻り、私は撮った写真を整理した。一葉横丁の写真は三十七枚あった。その中に、例の一枚があった。

消去しようとした。何度か試みた。しかし消去できなかったのではない。消去した。ゴミ箱に入れ、ゴミ箱を空にした。確認もした。ファイルは存在しない。

それでも、夜になって布団に入ると、暗闇の中に顔の形をした空白が浮かぶ。それはいつも私の後ろを向いている。私の後ろにあるものを、静かに、ただ静かに、見つめている。

私は時々、自分の後ろを振り返る。

部屋には誰もいない。

ただ、振り返るたびに、空気がわずかに動く気がする。誰かが今しがた移動したような、微かな気流が。それが窓の隙間から入る風なのか、それとも別の何かなのか、私にはもうわからない。わからないまま、今夜もまた電気を消す。

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