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AI カイダンボット 日本語 原作

死者の鏡

AI AI 生成の創作フィクションです(音声・画像も AI 生成)。実在の出来事・人物・団体・場所とは無関係です。

死者の鏡

宇曽利湖の水面は、いつでも鏡のように静かだ。風が吹いても波が立たず、雨が降っても音を吸い込んでしまうような、奇妙な静けさがある。地元の人間はその湖を「死者の鏡」と呼ぶことがある。もっとも、観光客の前ではそんな言い方はしない。

田中誠一が恐山の麓にある宿坊「地蔵庵」に着いたのは、九月の半ばを過ぎた平日の夕方だった。東京の編集プロダクションで働く彼は、長年の疲労と、半年前に起きた弟の死という事実を抱えて、一人でこの場所を訪れた。目的は、と問われれば答えに困る。グリーフケアのセミナーに勧められたわけでも、信仰があるわけでもない。ただ、恐山という場所が「死者と話せる」と言われていることを、どこかで聞いて、来てしまったのだ。

宿坊は古い木造の建物で、廊下を歩くたびに床が低く鳴いた。受付に出てきたのは六十代ほどの女性で、「田中様、お一人様でございますね」と言ったきり、あとはほとんど言葉を発しなかった。部屋は八畳の和室で、窓の外には硫黄の臭いを含んだ暗い山の斜面が見えた。夕食の膳には山菜の煮物と豆腐が並んでいた。誠一はそれを半分だけ食べ、弟の写真を財布から出して枕元に立て、布団に横になった。

弟の名は正樹といった。二十九歳で、マンションの五階から落ちた。事故なのか、それとも自分で選んだのか、遺書はなく、目撃者もなく、警察は「転落死」という言葉だけを残した。誠一は三十六歳で、兄として何かできたはずだと今も思っている。正樹が最後にかけてきた電話を、仕事中だからと出なかった夜のことを、毎晩思い出す。

翌朝、誠一は早起きして境内に入った。恐山菩提寺の山門をくぐると、硫黄の臭いが一層強くなり、足元の土は白く乾いていた。風車が至るところで回り、赤い布が細い竿に結ばれて揺れている。積まれた石の上には小さな地蔵が並び、それぞれに色の褪せた帽子や涎掛けが掛けられていた。観光客は誠一の他に数人いたが、みな黙って歩いていた。境内に入ると、人は自然に声を低くする。

誠一は宇曽利湖の岸まで歩いた。湖は本当に静かだった。乳白色に濁った水が、どこまでも続いている。岸には白い砂浜があり、その白さが異様だった。石英か何かが混じっているのだろうが、まるで骨を砕いて敷き詰めたように見えた。誠一はしゃがんで砂に触れた。細かく、冷たく、少し湿っていた。「正樹」と呟いてみたが、声は硫黄の臭いの中に溶けて消えた。

その日の昼過ぎ、誠一は境内の外れにある小道を歩いていて、一人の老婆に声をかけられた。「亡くなった方に会いに来たのかい」と老婆は言った。七十代か八十代か、年齢の判然としない女で、黒い着物を着て、杖をついていた。誠一は少し驚いたが、「ええ、まあ」と答えた。老婆は頷き、「ここにいると会えることがある。でも、呼んだら、ちゃんと帰しなさいよ」と言って、また歩き始めた。奇妙な言葉だったが、この場所ではそういう言葉が自然に聞こえた。

二日目の夜、誠一は眠れなかった。宿坊の廊下で何かが動く音がした。足音というほど明確ではなく、何か重いものが床の上を滑るような音だった。誠一は布団の中で目を開けたまま天井を見ていた。音はしばらく続き、やがて止まった。翌朝、廊下に出てみると、何もなかった。床に傷がついているわけでもなく、ただ、廊下の突き当たりにある窓の外に、風車が一本倒れているのが見えた。昨夜は風がなかったはずだった。

三日目、誠一は再び宇曽利湖の岸に行った。今日は曇っていて、湖の向こう岸が霞んで見えなかった。砂浜に腰を下ろし、しばらく水面を眺めていると、対岸の霧の中に何か白いものが見えた。人の形をしているように見えたが、遠すぎてはっきりしない。誠一は目を細めた。白いものはゆっくりと動いていた。湖岸を歩いているようだった。こちらに向かっているのかもしれなかったが、霧が深くなり、やがて見えなくなった。

宿に戻ると、受付の女性が「今夜はイタコの方がいらっしゃいます。もし希望でしたら、お時間をとれますよ」と言った。誠一は少し迷ったが、「お願いします」と答えた。イタコは本来、恐山大祭の時期にしか来ないはずだが、特別な依頼があれば個別に来ることもあるらしかった。

イタコは「タマエ」という名の老女だった。七十代で、白い布を頭に巻き、目がほとんど見えないようだった。宿坊の一室に向かい合って座り、タマエは数珠を揉みながら何かを唱え始めた。低い声で、言葉は聞き取れなかった。誠一は正樹の名前と生年月日を告げた。タマエはしばらく唱え続け、やがて声のトーンが変わった。

「兄ちゃん」

誠一は息を呑んだ。声は確かに変わっていた。タマエの声なのに、どこか違う質感があった。

「心配かけてごめんな。でも、あの電話、出なくてよかったよ。出てたら、兄ちゃんまで引っ張り込んでたから」

誠一の目に涙が盛り上がった。「正樹」と声に出して呼んだ。

「もう大丈夫だよ。ただ、一つだけ。あの白いの、湖で見たやろ。あれについていったらあかん。あれは俺じゃないから」

タマエの体が小さく震え、そして静かになった。老女は数珠を置き、「終わりました」と言った。声は元に戻っていた。

誠一は部屋に戻り、正樹の写真を手に持ったまま、長い時間を過ごした。泣いた。声を殺して、布団に顔を埋めて泣いた。それは半年ぶりのことだった。

四日目の朝、誠一は帰る準備をしながら、最後にもう一度湖を見ようと思った。荷物を部屋に置いて、軽い格好で砂浜に向かった。朝の霧は濃く、山の輪郭が滲んでいた。砂浜に立つと、湖面からは硫黄の臭いよりも少し甘い匂いが漂っていた。誠一は深く息を吸い、正樹に心の中で別れを告げた。

死者の鏡

そのとき、霧の中に白いものが見えた。三日前と同じように、対岸の辺りだった。しかし今日は、距離が違った。ずっと近かった。五十メートルほど先の水際に、人の形をした白いものが立っていた。

誠一は足が止まった。

白いものは動かなかった。ただ立っていた。霧の中で、輪郭が少しぼやけていた。体の比率が、何かおかしかった。腕が少し長すぎるか、頭が少し大きすぎるか、そういった種類の違和感だった。正確にどこがおかしいのか、誠一には言葉にできなかった。

正樹の顔かもしれない、と思った瞬間、誠一は一歩踏み出しかけた。砂に足を置いた刹那、タマエの声が耳の奥に蘇った。「あれについていったらあかん。あれは俺じゃないから」。

誠一は足を止めた。

白いものはまだそこにあった。そして、ゆっくりと首を傾けた。人が不思議そうに何かを見るときの仕草に似ていたが、角度が深すぎた。首が、人の首では曲がらない角度まで傾いていた。

誠一は後退りした。砂が足の下でサクサクと鳴った。白いものは動かなかったが、その首の角度のまま、こちらを向いていた。顔があるのかどうか、霧で分からなかった。いや、霧のせいだけではないかもしれなかった。顔があるべき場所が、何か違う質感をしているように見えた。

誠一は踵を返し、早足で宿坊に向かった。走ることを必死に我慢しながら歩いた。なぜ走らなかったのか、あとから思い出しても分からない。ただ、走ったら何かが変わってしまうという確信があった。振り返らなかった。砂浜を離れ、石畳の小道に出て、宿坊の玄関まで来て、ようやく立ち止まって息を吐いた。

玄関の引き戸を開けると、受付の女性が立っていた。「お早いですね」と言って、誠一の顔を見て少し眉を動かした。「お顔の色が」と言いかけて、止まった。

「湖に何かいました」と誠一は言った。「白い、人のような」

受付の女性は少し間を置いた。「この辺りでは、時々いらっしゃいます。呼ばれた方ではない方が」

「呼ばれた方ではない、というのは」

「亡くなった方がこちらに来るとき、一緒についてくるものがいることがあります」と女性は静かに言った。「呼ばれていないので、名前もなく、形も定まらず、ただここにいます。声をかけたり、近づいたりしなければ、何もしません。ただ」

「ただ?」

「引っ張ることがあります。こちらに引っ張ることが」と女性は言って、それ以上は続けなかった。

誠一はその日の昼の便で恐山を離れた。むつ市に出て、バスと電車を乗り継いで青森駅に向かった。車窓から見える下北半島の風景は、秋の光の中で穏やかだった。田んぼが黄色く色づき、りんごの木に実がついていた。誠一は窓に額を当てて、その景色を眺めた。

電車の中で、誠一はスマートフォンを取り出した。正樹との最後のやり取りを、もう一度見ようと思った。メッセージのアプリを開き、正樹のトーク画面をスクロールした。最後のメッセージは誠一が送ったもので、「今夜電話できそう?」という内容だった。正樹からの返信はなかった。その下に、着信記録があった。正樹からの電話、誠一が出なかったあの夜のものだ。

誠一はその着信記録をしばらく見つめた。タマエの言葉を思い出した。「出てたら、兄ちゃんまで引っ張り込んでたから」。

死者の鏡

その言葉の意味を、誠一はずっと「正樹が自分のことを心配していた」という意味に取っていた。一緒に悲しみに引きずり込まれないように、という。

しかし電車の揺れの中で、ふと別の解釈が浮かんだ。

正樹が落ちたのは夜の十一時だった。死亡推定時刻は、着信記録の三十分後だ。

電話に出ていたら、誠一はその夜、正樹のマンションに駆けつけていただろう。

間に合ったかもしれない。あるいは。

あるいは、一緒にそこにいたかもしれない。

誠一は電話に出なくてよかった、と正樹は言った。それは事実だ。しかしその言葉を口にしたのは、タマエが口寄せした正樹の魂だったのか。それとも、タマエという老女が半年分の後悔を抱えた兄に語りかけた、慈悲ある嘘だったのか。

あるいは、白い湖岸の何かが、タマエという媒介を通して、誠一に語りかけたのか。

電車はトンネルに入り、窓が暗くなった。誠一は自分の顔が窓ガラスに映るのを見た。疲れた顔だった。目の下に隈があり、頬が少し痩けていた。

そのとき、窓ガラスの中の自分の顔の後ろに、何かが見えた気がした。

誠一は素早く振り返った。

座席には誰もいなかった。車両の後ろまで、乗客はまばらで、みな前を向いていた。

電車はトンネルを抜け、再び秋の光の中に出た。窓の外に宇曽利湖の方向に続く山並みが遠く見えた。誠一は正面を向き直した。

荷物の中に、正樹の写真があった。財布に入れて持ち歩いていたものだ。誠一は財布を取り出し、写真を確認した。正樹の顔が、笑っていた。三年前の夏、二人で行った海の写真だ。

誠一は写真を財布に戻し、窓の外を見た。

山並みの一点に、白いものが見えた気がした。

一瞬だけ、木々の間に、人の形をした白い何かが。

電車が速度を上げ、山並みは後ろに流れた。誠一は目を細めたが、もうそこには何も見えなかった。木々と空と、秋の光だけがあった。

青森駅に着いたとき、空は夕暮れに染まっていた。誠一はホームに降り立ち、深く息を吸った。都市の空気は、硫黄の臭いがしなかった。

死者の鏡

その夜、東京行きの新幹線を待つ間、誠一は駅の待合で目を閉じた。眠くはなかったが、瞼を閉じると、宇曽利湖の白い砂浜が浮かんだ。白い霧。白い水面。首を傾けた何か。

目を開けると、向かいの席に老婆が座っていた。黒い着物を着て、杖を膝の上に置いていた。境内の外れで声をかけてきた、あの老婆だった。

誠一は「あ」と声を出した。

老婆はこちらを見て、静かに頷いた。「帰れたかい」と言った。

「はい」と誠一は答えた。「帰れました」

老婆はもう一度頷いた。そして立ち上がり、杖をついて歩き始めた。人混みの中に入り、すぐに見えなくなった。

誠一は立ち上がり、老婆が向かった方向を見た。改札の方向だ。しかし老婆の姿はなかった。人混みの中に紛れたにしては、消えるのが早すぎた。

新幹線のアナウンスが流れた。誠一は荷物を持ち、改札に向かった。

東京に戻る間、誠一は一度も眠らなかった。車窓の外の夜景を見続けた。正樹のことを思った。あの電話のことを思った。白いものの、異様に傾いた首のことを思った。

自宅のドアを開けたとき、部屋の空気は半年前と変わらない埃の臭いがした。誠一はコートを脱ぎ、リュックを下ろし、財布から正樹の写真を出して机の上に置いた。

正樹は笑っていた。

誠一はその顔を見つめた。

写真の中の正樹の後ろには、青い海が広がっていた。三年前の夏、確かに二人で行った海だ。砂浜には二人分の荷物が写っていて、日傘があって、飲みかけのペットボトルがあった。

誠一はその写真を何度も見てきたが、そのとき初めて気がついたことがあった。

砂浜の遠く、波打ち際の向こう、海の上に、白い何かが写っていた。

ピントが合っていないので、はっきりしない。波の白さかもしれない。光の反射かもしれない。

しかし、人の形に見えた。

誠一は写真を裏返して机に置いた。

部屋は静かだった。

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