
八岐大蛇
やまたのおろち
八つの首は八つの飢えであり、その尾の奥には、まだ名を持たぬ何かが眠っている。
出雲の肥河の上流、水音が山を割るほど激しい場所に、それは毎年やって来たという。八つの頭、八本の尾——全身は山をひとつ覆い、腹は血に爛れ、目は赤く酸漿のように燃えていた。高志の奥から這い出るその影は、山神とも水神とも囁かれるが、いずれにせよ、神話の外にも似たものを見た者がいると噂は続く。
老夫婦は娘を八人持っていた。年ごとに一人が消え、最後に残ったのが末娘・櫛名田比売であった。箸が流れ着く川を遡った須佐之男命は、その泣き声を聞き、娘を細歯の櫛へと変えて己の髪に挿した。怪物の前に人の形を晒さぬための、静かな隠匿であった。
退治の手段は力ではなく、酒であった。七度絞り重ねた強い酒——八塩折之酒——を八つの桶に満たし、八つの門のそれぞれに据えた。大蛇は八つの首をそれぞれの桶に沈め、深く飲み、眠った。その隙に十拳剣が振るわれ、肉は断たれ、川は血で赤く染まった。
尾の一節だけは剣の刃を欠かせた。断ち割ると、内側から神剣が現れた——天叢雲剣、後に草薙剣と呼ばれるもの。怪異の腹に神器が宿っていたという事実は、この存在が単なる獣ではなく、何らかの器であったことを示唆する。
斐伊川流域では今も、増水の季節になると川面に奇妙な渦が生まれることがある。地の者はそれを特に説明しない。説明しない、というのが、この土地における長い習慣なのだ。
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出典: ヤマタノオロチ — ウィキペディア(ja.wikipedia.org)。 当サイトが翻案・再構成。ライセンス CC BY-SA 4.0.